海外にいると、日本人の重要性が増す、と思う。
日本人でなくとも、アジア人だとか、英語を話すスピードが同じ人だとか、とりあえず少しでも感覚が近い人を頑張って探す。そして、授業やグループワークの進め方、発言の頻度、飲み会の仕方や頻度、いろんなところで「●●人は・・・」とかって思うことや口に出すことが増えてしまう。こうした感覚を分かち合える安心感というのは、まさに自分が27年間で培ってきたものを確認する行為だし、(仮に分裂を促進することになったとしても)たぶん全くなくては、生きていけないものだ。
私の心のどこかに、「この世に多様性があること自体は避けられないのだから、多様性を是とできる社会にしたい」という社会学部卒らしい(?)願望のようなものがあるんだけれども、そんな私でも結局、感覚が近い人と固まるのが幸福なのだろうか、とさみしく思う。
でも、「一緒にいて楽」と別の尺度で、「この人達ってこういう力が半端ない」、「なんでこうできるんだろう」、って感嘆と(自分への)諦めの入りまじった感情が沸くことも多い。日本人も(私も)こういうところを取り入れたほうがいいのにな、と思うことも多い。
LBS・MIF生のバックグラウンドはそれなりに分散されていて(下図)、
あえてカテゴライズすればラテン系の社交性とか、欧米の人のプレゼン力とか、アジア人の勤勉さとか、いろんな地域の人たちの異なるパワーを感じることのできる場所だ。そして私自身は、その多種多様なパワーに、学びもするし、何より多様な人たち組み合わさることによって生まれる得体のしれない力に、期待を感じてもいる。
というか、そもそもこれらの「内と外」の感覚って、海外にいるからより大きな違いに目が向いているだけで、日本人だけの中高でも感じていたものだ。部活とかファッションの垢抜け度合いとか親の年収とか、たぶんそういう違いが人種とか国籍とかに変わっただけなのだ。集団があれば、いつだって内側と外側が意識される。
さて、そこで、いろんな社会学者が実験して考察していそうなことを今更書くのだが、多様性があることは結局、異文化理解による尊重と分裂のどちらを促進する効果が強いのだろうか。前者の効果をより強く発揮できる集団の特性があるとしたらそれは何なのだろうか。
と、先行研究を読んだるぞ、いったん意気込んだのはいいものの、最近chatGPTの便利さに気が付いてしまったので、とりあえず安易に彼に聞いてみた。
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多様性と社会的分裂・異文化理解の関係**についての先行研究は、社会学、人類学、心理学、政治学などの多くの分野で幅広く研究されています。以下に、主要な研究の分野やトピックごとにその概要を紹介します。
1. **多様性と社会的分裂**
多様性(民族的、文化的、宗教的な差異など)は、多くの社会においてメリットもデメリットももたらします。特に社会的分裂や対立が生じやすい状況も研究されています。
- **ロバート・パットナム(Robert Putnam)**による研究:
Putnamは有名な研究「Bowling Alone」(2000年)で、社会的資本と多様性の関係を分析しています。彼の研究は、社会的多様性が増えると、信頼感や社会的結束が低下し、コミュニティの連帯感が弱まることを示しました。特に、多様な社会では「社会的資本の減少」が問題となりやすいという結論を導き出しています。しかし、その一方で、適切な条件下では、時間をかけて多様性が社会的包摂を促進する可能性もあると示唆されています。
- **エスノセントリズムと紛争**:
エスノセントリズム(自文化中心主義)は、異なる文化や民族に対して否定的な感情や偏見を持つことが多く、これが社会的分裂の原因となることが多いです。多様性が紛争や分裂を引き起こす一因となる場合、異なる集団間での競争や資源の分配が緊張を引き起こすことが指摘されています(Horowitz, D. L., 1985, *Ethnic Groups in Conflict*)。
- **多様性と経済的格差**:
多様性が経済的不平等や格差を悪化させる場合、社会的対立が生じやすくなることも知られています。多様な社会では、所得や機会の不平等が社会的分断を強化するという研究も存在します(Alesina, A., & La Ferrara, E., 2005, *Ethnic Diversity and Economic Performance*)。
2. **異文化理解と共生**
異文化理解は、多様な社会において人々が協力し、共存するために重要な要素として広く認識されています。
- **異文化接触理論(Contact Hypothesis)**:
ゴードン・オールポート(Gordon Allport)の「異文化接触理論」(1954年)は、多様な集団間での接触が一定の条件を満たせば、異文化理解が進み、偏見や対立が減少するという仮説を提唱しています。具体的には、平等な地位、共通の目標、協力的な関係、制度的支援がある場合、異文化間の接触は肯定的な結果を生む可能性が高いとされています。
- **文化的適応(Cultural Adaptation)**:
異文化理解は、個人や集団が異なる文化的環境に適応する過程でもあります。ジョン・ベリー(John Berry)の文化的適応理論では、同化(自文化を放棄し、異文化に適応する)や統合(自文化と異文化の両方を保持し、適応する)などの戦略が説明されています(Berry, J. W., 1997, *Immigration, Acculturation, and Adaptation*)。
- **多文化教育**:
異文化理解を促進するための教育的アプローチとして、多文化教育(multicultural education)が重要な役割を果たします。James Banks(1993)は、多文化教育が多様な文化的背景を持つ学生が共に学び、互いの文化を理解するための重要な手段であると主張しています。多様性の理解を通じて、社会的分裂を和らげ、協力的な社会を構築することが目指されます。
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ふむふむ、つまり、なんとなくまとめると、
「多様性がある社会は、特に資本を巡る競争や不平等が存在する場合に、分裂を生む傾向にある。一方で、平等な地位、共通の目標、制度的支援がある場合には、異文化理解を促進し、肯定的な結果を生むこともある。」
ということなのかしら。
ただこれ、闇深いのが、異文化共生の研究で紹介されてるのがいずれも2000年以前なのに対し、分裂に関する研究が2000年代以降のものを紹介していることなんだよな・・・
多様性は分裂を生む(力のほうが強い)という研究が最近のコンセンサス・・・?と謎が深まったので、いつの日にか、ロバートパットナムさんの本でも読んでみたいと思います。
すみません、風呂敷広げまくっておいてなんですが、寝ます。(笑)
タイトルの結論は、「人生かけて考えてもわからなそう」。
また試験後にでも書きます!!Sleep tight!!